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盛岡地方裁判所 昭和44年(ワ)332号 判決 1970年2月13日

原告 佐々木松次郎

被告 日産火災海上保険株式会社

主文

被告は原告に対し金二五〇万円及びこれに対する昭和四四年九月二八日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、原告において金五〇万円の担保を供すれば、仮に執行することができる。

事実

第一、申立

一、原告

「被告は原告に対し金二五〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求める。

二、被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求める。

第二、請求の原因

一、被告は保険営業の株式会社である。

二、訴外阿部丑身(以下、阿部という)は被告との間に昭和四三年一〇月二三日左記の火災保険契約を締結した。

1  保険の目的物

釜石市只越町二丁目三番二号所在

木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建店舗兼居宅一棟

床面積 一階三一坪二合

二階九坪

2  保険金額 二五〇万円

3  保険期間 昭和四三年一〇月二三日より昭和四四年一〇月二三日まで

4  保険料 三万八二五〇円、契約と同時に支払(建物の外阿部所有の家財一式、瀬戸部類一式を含む)

5  火災保険証券番号 第二〇一、四七九号、取扱店被告盛岡営業所

6  保険証券作成日 昭和四三年一〇月三一日

7  保険証券作成地 被告仙台支店

三、阿部は債権者株式会社北日本相互銀行から前記保険目的物件(以下、本件建物という)につき盛岡地方裁判所遠野支部昭和四四年(ヌ)第二号の不動産強制競売を申し立てられ、同年二月一九日競売開始決定がなされ、同年五月八日競売に付された結果、原告が金一三二万九、〇〇〇円で競落し、同年五月一五日競落許可決定がなされ、原告は同年六月一一日代金を納付した。しかるに、本件建物は同年六月一六日二時一五分頃火災により全焼した。競売裁判所は同年七月一六日原告の納付した競落代金の配当手続を実施し、競売手続は完結した。

四、原告は、火災保険の目的物件たる本件建物を競落により承継取得したものであるから、被告に対し保険金二五〇万円の支払を求めたところ、被告は、「右は火災保険普通保険約款(以下、約款という)八条一項二号の『保険の目的を譲渡すること』に該当し、同条一項により、保険契約者又は被保険者が被告に対し遅滞なく書面をもつてその旨を申し出で、保険証券に承認の裏書を請求しなければならないものであり、同条二項により、前項の手続を怠つたときは、事実が発生したときから承認裏書請求書を被告が受領するまでの間に生じた損害をてん補する責に任じないというに該当する。」との理由で、原告の保険金請求を拒絶した。

五、前記火災の翌日、被告の仙台支店及び盛岡営業所の社員は現地に出張し、火災の事実を調査している。また、阿部は保険の目的物件は競落により原告の所有となつたから家屋に対する保険金全額を原告に対して支払われたい旨昭和四四年七月五日被告に通知した。

六、商法六五〇条の「被保険者カ保険ノ目的ヲ譲渡シタ」とは、任意譲渡たると強制譲渡たるとを問わないこと、約款八条一項二号の「保険の目的を譲渡する」ということも右と同意義に解すべきことは争わない。

原告は前記の経過により本件建物を競落し、代金を納付したが、未だ所有権移転登記を受けない昭和四四年六月一六日に本件建物は火災によつて全焼した。阿部は同月一八日原告に対し本件建物に二五〇万円の火災保険を契約してあることを告げ、原告はこれを初めて知つた。阿部は前項記載のように同年七月五日被告に対し原告が本件建物の所有者となつた旨を通知したが、これは約款八条一項による同項二号の事実を保険契約者において通知したことに準ずべきであり、同時に右通知は保険の目的の譲渡の承認を請求した行為に準ずべきものである。

また、原告においても、被告に対し被保険者の交替を通知し、かつ阿部の保険証券を被告に提示して譲渡承認の裏書を請求することができるものであるが、本件において原告が被保険者の地位に立つたことを知つたのは火災の後であるから、その事前において被告に対し右の行為をすることは事実上不能であつた。このような立場にある原告に対し、保険の目的の譲渡につき保険会社の承認裏書を受けていないから、保険金請求権を認めないということは不当である。

保険契約は保険会社が一方的に定める約款に契約者が無条件に附従することによつて成立するいわゆる附合契約である。したがつて、約款の適用は信義則により制限されなければならない。本件のような場合、保険会社が保険金支払の義務を免れるとすることは信義則上妥当を欠くものであるから、被告は原告に対して保険金を支払うべきものである。

なお、原告が保険の目的を譲り受けた事実は、商法六五〇条二項の「著シク危険ヲ変更又ハ増加」した場合に当らないから、保険契約の失効もしくは契約解除の原因をなすものではない。

第三、答弁

一、請求原因第一ないし第五項の事実はすべて認める。第六項の主張は第一段を除き争う。

二、商法六五〇条にいわゆる保険の目的の譲渡とは、任意譲渡の場合に限らず、強制譲渡の場合も合むと解される。しからば、同規定を承けて設けられた約款八条一項二号の保険の目的の譲渡も、任意譲渡のみならず強制譲渡も含むと解すべきである。原告が競落により本件建物の所有権を取得したことは、右約款の規定に該当する。

三、免責の主張

原告は保険の目的の譲渡を受けながら、被告の承認裏書を受けてはいないから、被告は承認裏書請求書の提出以前に生じた本件損害をてん補する責任を負わない。

1  保険の目的を譲渡するときは、保険契約者又は被保険者は、予め又は事実発生後遅滞なく書面をもつてその旨を保険者に申し出て、保険証券に承認の裏書を請求しなければならないのであつて(約款八条一項二号)、これらの者がその手続を怠つたときは、保険者はその事実が発生したときから承認裏書請求書を受領するまでの間に生じた損害のてん補の責を負わないし(約款八条二項)、保険の目的の譲渡があつたときは、保険者は承認裏書請求書を受領したと否とに拘らず保険契約を解除しうるのである(同条三項)。

2  商法六五〇条は、保険の目的が譲渡された場合、保険契約上の権利もまた譲渡されたものと推定しているが、同規定は、一般に被保険者の地位の移転又は交替を推定していると解されている。したがつて被保険者としての義務も移転すると解さざるをえない。そして、被保険者の地位の移転ないし交替は、保険者その他の第三者に対しても何らの対抗要件を要しないで対抗し得ると解されてる。

3  一方、保険者の立場からすれば、被保険者の交替は保険関係に重要な影響を及ぼすものと考えざるを得ず、特に危険の増加の有無を検討し、同保険契約を維持継続するかどうかの判断の機会を与えられなければならない。保険の目的の譲渡が危険の変更増加を伴なうおそれのあることは商法も認めている(商法六五〇条二項)。ここに、約款八条一項二号、二項、三項の規定の存在意義がある。すなわち、保険の目的が譲渡されたときは、保険契約上の権利は譲受人に移転するが、保険者はその事実を通常は知り得ないから、保険契約者又は被保険者の通知及び承認裏書請求により保険契約の移転を承認するか否かを検討し、不適当と認めればこれを解除し、支障なければ承認することとなる。この場合、著しい危険の変更、増加があれば当然に保険契約は失効し(商法六五〇条二項)、承認裏書請求あるまでの保険事故に対しては保険者は保険金支払の義務を負わない(約款八条)。右約款の有効なことについては全く異論をみない。

4  約款八条は保険証券の承認裏書請求なる用語を使用しているが、その趣旨は、保険の目的の譲渡による被保険者の交替に伴なう保険契約の承認請求をいうのであつて、もとより保険証券の提出を絶対の要件としているのではない。そして、保険の目的の任意譲渡の場合であると強制譲渡の場合であるとを問わず、同条項の適用はあるのであつて、譲渡人(保険契約者)又は譲受人(被保険者)のいずれからでもその承認請求をすればよいのである。本件においては、全く右承認請求はなかつたのであるから、その間に生じた本件保険事故について被告は保険金支払の義務を負わない。

理由

請求原因第一ないし第五項の事実は当事者間に争いがない。本件の争点は、被告が約款第八条の規定によつて損害てん補の責任を免れたか否かの一点にある。

まず、商法の規定をみるに、被保険者が保険の目的を譲渡したときは、同時に保険契約によつて生じた権利を譲渡したものと推定されている(商法六五〇条一項)。右の譲渡には、任意譲渡のみならず強制譲渡も含まれると解すべきである。本件では反証はないし、被告もこの点を争わないから、原告は保険契約上の権利の譲渡を受けたものと認めるべきである。そして、この権利の移転は通知又は承諾という対抗要件なくして保険会社に対抗しうるものと認めるのが相当である。他方、保険の目的の譲渡が著しく危険を増加(条文は「変更又ハ増加」と規定しているが、変更のうち減少は問題とならないであろうから、結局増加のみとなる。)したときは、保険契約はその効力を失うものとされ(同条二項)、保険期間中危険が保険契約者又は被保険者の責に帰すべき事由によつて著しく増加したときは、保険契約はその効力を失うものとされ(商法六五六条)、また、保険期間中の著しい危険の増加が保険契約者又は被保険者の責に帰することのできない事由によるときは、保険者は将来に向つて保険契約を解除することができるものとされる(商法六五七条一項)。右いずれの場合も「危険の著しい増加」が要件とされている。したがつて、たとえ危険の増加があつてもそれが「著しい」程度でないときは(危険が増加しないときはなおさらのこと)、保険契約の失効又は解除は生ぜず、保険契約は、その目的の譲渡の場合には、譲受人と保険者との間に存続することになる。本件の場合、原告が保険の目的たる本件建物の所有権を競落により取得したことは、別段「著しい危険の増加」の場合に当るとも考えられない(被告もそうは主張していない)から、保険契約の失効又は解除は問題とならず、保険契約は原告と被告との間に承継され存続するものであり、したがつて、被告は原告に対し損害てん補の責任を負うこととなる。

商法の規定によれば右のようになると解されるが、保険契約の当事者はいわゆる普通契約約款により右と異なる定めをすることは差支えないところである。そして、実際に普通契約約款により別段の定めをしているので、その内容を検討するに、約款第八条第一項は、「保険契約締結後、次の事実が発生した場合には、保険契約者又は被保険者は事実の発生がその責に帰すべき事由によるときはあらかじめ、責に帰することのできない事由によるときはその発生を知つた後遅滞なく、書面をもつてその旨を当会社に申し出て、保険証券に承認の裏書を請求しなければならない。(但書省略)」と規定し、同項第二号は、「保険の目的を譲渡すること」となつている。右譲渡は、前記商法六五〇条の場合と同じく、任意譲渡のみならず強制譲渡も含むと解するのが妥当である。そして、同条第二項は、「前項の手続を怠つたときは、当会社は、その事実が発生した時又は保険契約者若しくは被保険者がその発生を知つた時から承認裏書請求書を受領するまでの間に生じた損害をてん補する責に任じない。」と規定し、同条第三項は、「第一項に掲げた事実が存する場合には、当会社は、その事実について承認裏書請求書を受領したと否とを問わず、保険契約を解除することができる。」と規定している。右約款の規定によれば、保険の目的の譲渡が「事実の発生がその責に帰すべき事由によるとき」に該当するか否かの判断を措くとすれば、被告主張のように、保険の目的を譲渡する場合は、保険契約者又は被保険者は、譲渡前に又は譲渡後遅滞なくその旨を保険者に申し出て、保険証券に承認の裏書を請求しなければならず、右手続を怠つたときは、保険者は譲渡の時から承認裏書請求書を受領するまでの間に生じた損害をてん補する責任を負わないこととなり、また、保険者は承認裏書請求書を受領したと否とを問わず保険契約を解除することができることとなる。本件の場合、阿部も原告も被告に対し右承認裏書請求の手続をしないうちに、本件建物の火災が発生したのであるから、右約款の規定によれば、被告は右損害をてん補する責任を負わないこととなる。これは、著しい危険の増加がないのに、保険契約が失効したのと同じである。

普通契約約款は、大企業における契約の大量的、定型的締結の要請に基づいて生れたものである。それは、一定種類の取引に定型的、一律的に適用するため、企業があらかじめ用意した契約条項であつて、企業側が一方的に定める条項である点に特色がある。契約の相手方は、約款の内容の知不知にかかわらず、この約款の条項に従つて契約したものと認められる。契約の締結を欲する者は企業の提供する約款を全部承諾してこれに附従するのほかないものである。普通契約約款は大企業が一方的に設定するのが通常であるから、企業の立場の経済的優位を背景として、契約の相手方の利益を軽んじ企業自身の利益を偏重するという弊害に陥りやすいものである。そうであるから、契約の相手方は約款の内容の知不知にかかわらず約款の条項を全部承諾して契約したものと認められるのであるけれども、約款の条項が全部そのまま有効なものとして契約関係を支配すると解することはできず、約款の条項に対しては具体的事件の適正な解決のため適当な規制が加えられなければならない。もともと普通保険約款はその設定、変更について行政官庁の認可を得ているものであるが(保険業法一条、一〇条)、行政官庁の認可があるからといつて、具体的事件における司法的規制を免れることはできない。裁判所は、具体的訴訟において、信義則、公序良俗などの法の一般原則に照らし、約款の条項の効力の有無を判断しなければならない。

商法の規定によれば、「著しい危険の増加」がない限り(本件ではそれはないと認められる)、保険の目的の譲渡の場合、保険契約者又は被保険者において別段の手続をとらなくても、保険契約は譲受人との間に存続することとなり、したがつて、保険者は損害てん補の責任を負うことになるのに、約款の条項によれば、著しい又はそれ程でない危険の増加があろうとなかろうと、保険の目的の譲渡の場合、保険契約者又は被保険者において事故発生前に承認裏書請求の手続をとらなければ、保険者は損害てん補の責任を負わないこととなり、保険契約の失効と同じ結果となる。商法が、著しい危険の増加がある場合のみ、保険契約が失効し又はこれを解除しうると定めたのは、著しい危険の増加の場合のみ保険者の責任を免がれさせ、危険の増加があつてもそれが著しくない場合は、その程度の危険の増加は保険契約上当然予想されるものとして、保険者の責任を免がれさせず、保険者に損害てん補の責任を負わせる趣旨であると解される。いかに保険契約の当事者(とはいつても、実は保険会社である)は商法の規定と異なる条項を約款において定めうるとはいつても、被告の定める前示約款の条項は、商法の趣旨と大きくへだたり、保険者に有利にして保険契約者又は被保険者に不利なること甚だしいものがある。かかる約款の条項は、前示商法の規定の趣旨並びに信義則、衡平の原則に照らし、そのまま是認することはできない。もつとも、本件のような強制競売の場合、保険契約者又は被保険者において、競落許可決定(これが所有権移転の時期である)の前に又はその後遅滞なく所有権移転の事実を保険者に通知し、承認裏書請求の手続をとることは十分可能であり、約款の条項を全部承諾したものと認められる以上、保険契約者又は被保険者は右の手続をとるべきであるということは一応いえることであるけれども、それをしなかつたときの失権の効果はあまりにも重大であり、右失権の効果を是認することは甚だしく衡平の観念に反する。もともと保険者は、商法上、著しい危険の増加がない限り、保険期間中の保険事故に対して損害てん補の責任を負うべきものであるから、著しい危険の増加を伴なわない保険の目的の譲渡の場合に、承認裏書請求の手続がないにかかわらず、損害てん補の責に任ぜしめても、別段保険者に対し酷であるということにはならない。それは保険者が商法上初めから負担している義務を負担させるにすぎないものである。

以上説示したところにより、裁判所は、著しい危険の増加を伴なわない保険の目的の譲渡の場合に、損害発生前に承認裏書請求の手続をしなかつたことの故に、保険者の損害てん補責任を免がれさせる点において、約款第八条の規定は無効であると判断する。原告は、本件建物の競落により、保険の目的の譲渡を受けたものであるが、右譲渡は著しい危険の増加を伴なわないものであるから、火災前に被告に対し約款第八条の規定による承認裏書請求の手続をとつていないけれども、なお、被告に対し損害てん補の請求権を有するものである。

被告がてん補すべき損害の額については、別段の主張立証のない本件においては、通常、火災保険契約においては、保険金額は損害発生の地におけるその時の目的物件の価額を超えないものと推定するのが相当であるから、保険金額相当額と認めるのが相当である。

よつて本訴請求を認容し(訴状送達の翌日は昭和四四年九月二八日であること記録上明らかである)、民事訴訟法八九条、一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石川良雄)

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